おしゃべりD                


                母の小言
かれこれ5〜6年も前になる。
スポーツクラブのサウナでのこと、
「筆不精で手紙も書けないわ!」とAさん。
遠い故郷には電話ばかりしていると言う。
私とて同じこと、しょうがなく書くときは
「ご無沙汰して…」の決り文句を並べるだけだ。
初対面のAさんとはすっかり意気統合した。
居合わせたMさんが、
「何でもいいから書いてきて!添削してあげるよ!」と言った。
彼女は文才豊かで、論文コンクールで受賞したこともある。
先生も決まり、生徒は同じサウナ仲間など8人、
月2回の”文章教室”が始まった。

習い始めて1年もたたない頃、
ある電力メーカーが『化粧』という題で”お茶の間論文”を募集していた。
「みんなで参加しましょ!参加することに意義ありよ!」と先生。
”これもいい経験かな?”ということで、みんなで応募した。
結果、8名中入賞2名の好成績。
なんて運のいいこと!
まぐれでムーも頂いちゃった♪(添削付きでね(^^ゞ)

「いったいどんなこと書いたの?」
と言われても随分前のこと、
それに原稿用紙10枚以上の長文だよ!(小冊子になって残ってるけどね(^_-))
というわけで、
どうしても気になる人だけ続けて読んでください(^○^)
(原稿とは多少違っていますが…)

ムーの母は、大変な教育ママだった。
父が早く亡くなったので、女手一つで頑張ってきたせいだろう。
そんな訳で、ムーは当時には珍しく塾通いをさせられていた。
勉強に限らず、健康に、行儀作法に、はたまたお洒落に関すること…
あらゆる面で口うるさく感じていた。
ムーの為になるのなら…と、外国にも行かせてくれた。
嫁入り前の娘を、いくら姉が住んでいるとはいえ、”人類のるつぼ”に…
気丈な母ならではのこと。
しかし論文を書いた頃のムーは、
いつもスッピンで、スポーツクラブ通いを日課としていた。
更年期克服で始めたスイミングに凝り、(何事にも凝り性なのよね(^^ゞ)
カナヅチだったのが1kmも泳げるようになった。
色気より食い気、GパンにTシャツ…
スカートはくのは喪服のときだけ、
ショートカットは楽でいい♪
そんなとき、
「テレビで10歳若返る放送やってるから見なさい!」
と母が電話してきた。
教育ママは健在で、今でも為になることがあると、電話してくる癖がある。
またかー…と思いつつもテレビを付けた。
すると、何処にでもいそうな普通のおばさんが(ムーもだけどね(^^ゞ)
あっ!と言う間に大変身!
若くて美しいステキなご婦人に生まれ変った!

”化粧や着る物は明るめの色を!
 歩く時は背筋を伸ばし、歩幅は広めにさっそうと!”
各部門の専門家達のアドバイスは、母が毎日ムーに言ってたことと同じだった。
母は私のファッションアドバイザーだったんだ!
○○の坂も越えたことだし、少し素直になって”母の小言”を聞いてみようかな?
たまにはお化粧でもして、スカートはいてお洒落をしよう!
そして母を誘ってショーでも見に行こう!
「どの服着ていこうかしら?」
と、母の喜ぶ顔が目に見えるようだ。

な〜んてこと書いたのよ(^^ゞ
で、今は…というと、なぜかお化粧もしないで、日焼け止めも塗らず
ワンちゃんの散歩や庭いじりをしているムーじゃっちゃが!
”お母ちゃん、ごめんなさーい”!ヾ(@^▽^@)ノ

母は80過ぎた今でも、いつでもどこでもお出かけできるように、
ステキにコーディネイトした洋服を、クローゼットにズラリと並べているのよ!
ムー姉ちゃんは母によく似てお洒落だけど、
ムーだけなり振り構わないのはどうして?(^^ゞ

やっぱり長くなってしもうた!(>_<)
最後まで、飽きずに読んでくれた人いるじゃろかい?

おまけ
論文の入賞賞金は3万円也、
お小言好きなお母ちゃんにも、お裾分けしたっちゃが!(^0_0^)
その後、文章教室は卒業した。
続けていたら今ごろ直木賞…???)^o^(
おわり

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